【徒然なるままに】人間は完ぺきではない

「人間は完ぺきではない」

 

これは、生きる上で心にとどめておくべき事実である。

 

どういうことか。

 

まず、人間は元来、生命体である。宇宙のどこかで生まれた超原子生命体が、進化し、どこかの特異点において人間が誕生した。

そのため、人間は理性を持ち合わせた感情的生命体である。

人間は生命体としての本能を備えている。3大欲求や、怒りなどという感情に支配されることはよくある。

一方で、近代以降、デカルト的自然観は人間の合理性を持ち上げ、過大評価したことで、人間の感情的な側面を否定した、と現代の哲学者は言った。その通りである。

しかし、理性がないわけではない。近年の研究によると、くじらやカラスのような中程度の知能を持つ動物は理性を持つと判明しているし、私の推測では、ほぼすべての生命体は理性を持つのではないかと思う。根拠はないが。

それは、人間についても同様である。人間も理性を持つ。いずれにしても、人間は理性と感情を持ち合わせた生命体である。

そのため、法律や経済は、人間の不完全性の下で発展してきたという歴史がある。法律はもとより、経済も「行動経済学」などといった、人間の合理性という前提を排除するような分野の研究も盛んになった。

 

ただ、問題なのは、「理性がカバーできる範囲は人間個人ごとによって違う」ということだ。そのため、ある種の不公平感が生じる。例えば、法律は、ある種の凶暴性を備えた人間に対しての抑制力として存在する。DVを働くような「野蛮」な人間には、罰を与える。それは、理性の欠如に対して罰を与えるのと同等だ。

扱える理性には個人差があることは言うまでもない。IQは標準正規分布に従うように設定されているが、実際、人間の知性はそのように分布しているといえるだろう。

そのため、個人差によって罰を受ける期待値が変化する可能性がある。これは少々問題であろう。

 

まあ、こんなことを述べても仕方ないことは分かっているのだが、いずれにしても、「人間は完ぺきではない」という視点を持つことは必要である。さもなくば、前提において大きな失敗を犯すことがあるだろう。